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がんを克服・生還された
元患者さんの体験記です。

がん治しは心治し(講演会内容を要約)

村田悦代さん

がんになってから、今までの経緯

私ががんになりましたのが2005年の夏です。自分で触診をして、マンモグラフィーも2年に1度検査を受けていたのですが2006年の8月に細胞診を受けました。二つ、三つ採って検査してもらって、それががんだったというふうに言われました。

CTを撮ると、左なのですが、全体が真っ白にピカピカと満天の星のように映っていたのです。「これ全部そうだったら大変だから、全摘にしよう」と言われたのです。 自分は良性だと言われるつもりで行っていますので、頭から血が引いてその場に立っていられなくなって、ちょっと横にならせてもらって話を聞きました。

手術を2週間後に予約をして帰ってきました。

3日後、入院の準備をしているところに、主人の恩師が、たまたま来てくださり「がんになった人が手術もしないで治った人がいる。そういう会に今日行って講演会を聞いてきた」とおっしゃったので、実は私は乳がんなんですと言って、お話を伺いました。

30分ぐらい話を聞いたのでしょうか。食事のことと、体を動かして酸素をたくさん取り入れてという話、そして心の問題の話も聞きました。そのときに、お砂糖はだめだよとか、牛乳はだめだよという話を聞きました。 私やってみますという話になり何かできるような気がすると思いました。手術をキャンセルして、自然療法というのをやろうという気になってやりました。

最初にやろうと思ったときに、1人では不安なので、名古屋でどこかそうことをしている人がいないか、いずみの会というのは有名だから電話してみようと思って電話してみたのです。電話をしたら「手術できるって言われたのなら、してからいらっしゃい」と言われたのです。そのときはもう手術をキャンセルした後だったので、えーっ、でも私もここまできたら引っ込みがつかないし、1人では寂しいから何とかならないかなと思ったのです。いずみの会さんは善意でそういうふうに言ってくださったと思ったのです。手術しないで治すというのは並大抵のことではないからねと言われて、「はあ」と言って泣きながら電話を切ったようなことがありました。 今日、この「いずみの会」の定例講演会で私の体験談を話そうと思ったのは、何かお役に立てればなと思っています。 

何をしたかというと、手術をキャンセルした後に、最初にやったのは食事療法。いわゆる玄米菜食です。ネットで調べていて、冷えとりというのがいいよということで、乳がんでしたので、冷えと、それから血液の汚れが一番の原因だろうというのがわかっていました。思い当たるところがあって、昔から指先冷たくて足先冷たくて、冷え症で、食べるのが大好きでしたから、冷たいものをいろいろ食べていました、冷えとりショップが近くにありましたので、冷えとりをやってみようと思っていきました。そうしたら、やっぱり食べ過ぎですよと顔を見るなり言われたのです。そんなに太っていたほうではないと思うのですが、何かわかるらしいのです。  「あなたは冷えをとることと、玄米のご飯、おにぎり2個と、みそ汁と、オクラの2本でも食べておけばいいですよ」と、言われたのです。しかも、「朝ご飯は食べないほうがいい。午前中は排毒の時期なので出すほうに専念して、入れてはいけませんよ」と。言われるとおりにやらないとしょうがないなと思ったので、マクロビオティックの話も聞き、玄米菜食の根本的な話も本で読みましたので、食べないほうが一番健康にいいのだなというのはわかっていましたので、それから始めました。

玄米を炊くことを覚えて、よくかんで食べるということを覚えました。それから、冷えとりをやったので、絹の5本指の靴下を履いて、その上に綿の丸いのをはいて、その上にまた絹の丸い靴下をはいて、その上にまた綿をはいてと8枚ぐらい重ねました。

そのため靴はワンサイズ大きくなりましたので、夫の靴をはきました。夜寝るときもはいています。夜寝るときが一番冷えるので、寝るときは一番温かくしなければだめですと言われたのです。

しかも、絹のズボン下をはくので、どうしてもズボンになります。夏の暑いときだったのですが、下に2枚も3枚もはきます。それで、靴下を重ねばきして、運動をしました。

朝、5時に起きて歩きなさいと言われたのですが、家族のお弁当を作って送り出したかったので、朝はちょっと遅めだったのですが、まず家族のことをやって、そのかわりに窓を開けて深呼吸、それから、当時、安保徹先生の本を見たら、ゆらゆら体操というのが載っていましたのでやりました。

主人も一緒にやってくれました。顔を見合わせると笑ってしまうので、全然違う方向を向いて、朝から空に八の字を描いて、ゆらゆらゆらゆらと体操をしました。そして深呼吸をするのです。朝のきれいな空気を入れて、がん患者は酸素が足りないので、酸素をとにかく取り入れましょうということで、鼻からゆっくり息を吸って、お腹にぐっとためて丹田に落として、15ぐらい数えます。そして鼻からゆっくり息を吐いてということをやりました。

10回ほどやりました。一番大事なのは、呼吸するだけではなくて、頭でイメージすることだったのですね。私のイメージ療法としては、一番きれいなきらきらした川の流れ、きれいなサラサラの映像をイメージして全身呼吸をしていました。私が今吸った酸素は、こうやって通って、血液に乗って指先まで行って、そして戻ってきてというのをずっとイメージするのです。それで血液循環をよくしていました。

朝ご飯は食べずに、ニンジンジュースを飲み、午前中は固形物を食べないで、お茶、ショウガ紅茶とか番茶を飲んでいました。お昼になって玄米ご飯と少しのおかずを食べます。一番大事なのが私の場合半身浴です。家族を送り出したら、かぎをかけ、いわゆる居留守ですが、誰が来ても開けないぞと、自分のことがやれると思いました。

それで、お風呂に入って半身浴を1時間、2時間とだんだん増やしていきました。お昼まで入っていると、すごい汗をかきす。汗が私の中の汚れた毒素を押し出してくれると信じていましたので、とにかく汗をかきました。もともと汗はあまりかかない体質だったのか、額から汗を出すというのはほとんどなかったのですが、このときは出ましたね。驚くほど汗が出ました。2時間も浴槽につかって、立ったり座ったりするのですが、よし、もうこれだけ汗が出たらもう死んでしまうと思うぐらい汗を出してから上がるようにしていました。そして、キュッと冷たい水でしめて、ご飯を食べるようにしていました。

あとは、温めたら温灸です。私がやったのはびわエキスを使う温灸なのですが、電気でするびわ葉温灸を全身に足の先からずっとやっていきました。全部やると1時間ぐらいかかるのです。背中は自分でやりにくいので、足の先からずっと前面をやって、患部もやって、届くかぎりのところをやって、背中だけ残しておいて、夜主人が帰ってきて、夕方もまた半身浴するのですが、その後に主人に背中だけやってもらって完全に終わって夜就寝というふうにやっていました。

主人が、私がそうやって何かやりだしたということにすごく関心を持ってくれて、自分でネットとか本を買ってきて調べだしたのです。何がうれしかったといって、自分でまず本を読んで、これよかったからこうやってやったらいいよと渡してくれるのです。だから、私が読んだときはもう話ができていたので、あ、じゃあこれやってみるねとか、この方法でジュースを絞るジューサーを買おうとか、足湯器のこういういいのがあるからそれを買おうねとか、そう言っていると、もう次の日にピーンポーンといって届いたりするのです。そういう協力がすごくうれしかったです。

私はいわゆる手術をしなかったし、難しい検査もしなかったし、お金があまりかかっていないのです。だから、できればそういうもので、家の中でやれることで多少お金がかかってもしょうがない。それが最初の初期投資で、ほかの方に聞いてもやはり言われますね、初期投資は大事だよと。これだけ準備をしたらやらざるを得ないから、自分でできるように準備をしてやろうという、それが私の決意でしたから、届いたら順番にその機械を使ってやりました。

昼間はそうして、私が食べ過ぎなのを防ぐために、家の中にいては食べてしまうのです。家の中にいると、台所で食事の準備をしようかな、作りながら味見を絶対するので食べてしまう。そのちょこちょこ食べが私の体重の負担が大きかったというのがわかったので、とにかく家にいないことが大事だったのです。リュックにお水を入れて、タオルを持って、お昼からはテクテクと歩きました。1時間、2時間歩いて、ずっと回って歩くとこんなことができるんだと思うようなすごい大回りで散歩をします。四季の季節の変化とか、花が咲いたとか、雲がどうだったとか、風が今日は涼しいなとか、そんなことを感じながら昼間歩きました。

それってすごく新しい発見で、喜びがあって、何か話のネタを探して歩いていたという感じですね。 それで、ちょっと外に出てつまづいた、と言って笑って、今日、こんなことで笑えたと、そんなことがうれしかったりするのですね。そういうことがよくありますね。朝、窓を開けました。今日はいつもよりスムーズに窓がガラガラッと開きました、今日はいいことあるぞって、それだけでもすごくいいことなのです。

私にとっては「喜びの沸点が下がる」というふうに表現していました。ちょっといいことをすごくうれしいなと思うようになります。それは治った方の話や本をいろいろ読んでいるうちにわかったことなのです。家族でいろいろと話をするようになって、私の中に何か原因があったのではないかといろいろと考えて勉強していました。送られてくる会報誌にはいろんな方の体験談とか、悩みをどういうふうに克服したらいいよという話が載っていましたので、それが私の教科書でした。それを見ながら、毎朝、今日はこうやって頑張ろうと思って、夜寝るときまた見て、明日はこうやってやろうと思って見る。そんなふうな使い方をしました。

心の問題

私にとって一生懸命やってくれる主人と別れることもないし、私はなぜこういう病気になったのかな、何がストレスだったのかなと考えました。そうだ、私はきっと頭でっかちで何でもできると思っていて、人に相談もしないで生きてきたのです。

心の問題なのですが、私がいろいろと考えるに、私がどうしてこの病気になったのかなと考えると、結婚してからの嫁姑のストレスというのがあるのかもしれませんが、それはもう誰にでもあること。私にだけにしかないことって何?と思ったときに、小さいときから、「あなたは何でもできるから、どこへ行ってもリーダーになれるくらいのことをしなさい。私そういうふうに産んどいたから」と母が言ったのです。「丈夫に産んどいたから病気になることないから」と。調子が悪くても、私は病気になってはいかんと思っていたので、調子が悪いと母にも言えませんでした。

小学校のときによく朝礼で倒れていました。貧血だったのです。小学校の2年生ぐらいのときから、年に2~3回ぐらい朝礼のときに倒れていました。でもそれは親に言えなかったのです。朝倒れて、保健室で横になっていると治るものですから、そういうものだと思っていました。中学校へ入っても倒れていました。その原因はあまり気にせずにしていました。後から思えば超貧血だったと思うのですが、なぜ貧血になってそういうふうになったかというと、後から血液検査をしてわかったのですが、白血球がすごく少ないのです。

私は白血球が少ないということをがんになるまで知らなかったのですが、血液検査をして、「あなたね、抗がん剤をやっている人よりも白血球少ないからね、血液内科へ行ってきてください」と言われたのです。それで一応調べてもらったら確かに少ないのですが、「赤血球も一緒に少ないからバランスはとれていますよ」と。

安保徹先生の本を読むと、赤血球と白血球があり、その中にもいろいろバランスがあって、「血液の中のバランスがよければとりあえずはいいですよ。これ以上少なかったら脊髄の検査をするんですけどね」、そういうもんなんだと思っていました。その貧血を治さないとどうにもならないのだということがわかっていました。それが一つわかりました。

それから、親に言えない、相談できないということが一番問題だなと思ったのです。結婚したときもそうだったのですが、自分で何かを決めることがすごく嫌でした。結果どうのこうのというか、あなた自分で決めたのでしょと言われて、失敗したときのそのつらさがすごく嫌だったのです。こう見えてすごい心配性でした。何かやるときに、すごく迷って迷って結論出してそれをやってみたときに、どうしよう失敗したら、どうしようこういうふうに思われたら、外からどういうふうに見られているのだろう。そればかり気になって、そのことが終わるまで気になっちゃうのです。

よくあることなのですが、そうやって外から見える自分のことばかり気になって、私はこういう性格なんだからと思っていたのですが、いろんな本を読むに至って、それは直せるということがわかったのです。それで私の中の何か変だなと思っていた自分を1枚1枚皮をはがしていったのです。

何かが原因で人に助けを求められない性格だということ、がん患者さんの集まりの中に行くとそういう方がすごく多いのです。人に弱みを見せられない方、それは男性に特に多いのですね。お母さんに男の人として育てられたので弱みを見せられない。だけど何となく弱いのです。甘えたいところがあるのです。だけど相談もできないで、心の中にずっとストレスをためてしまう。

1回そうなると、どんどんそれが上に上に重なっていってしまうので、どうにもパーンとはじけるところがなくて、それがどんどん心の中にたまってしまって、それに病気になってしまってから気がつくということが多いのですね。

私がそういうことに気づいたので、一度思い切って家族の前で頭を下げました。私は本当はバカだったんです。賢そうな顔をして、お母さんお母さんした顔をしていたし、奥さん奥さんしていたし、嫁はいい嫁でありたいと思っていた。だけど本当はバカなんですって。すごく心配で、どうしたらいいかわからないのに、相談もできなかったんです。だけど、私これからちょっと思い切ってばかになりますから、皆さんよろしくお願いしますと家族に頭を下げました。本当にインパクトのあることをしなきゃだめだよと言われたので、そんなことやったことがなかったのですけれど、土下座して頭を下げました。それは私にとってすごく大きなことでした。家族と一緒にこれから頑張っていこう、病気を治していきたいからお願いしますというふうに頼みました。

例えば私が母と一緒に何かやったとき、子供が何か問題を起こして、母にそれを知られたくないと思って隠したい。でもどうしようもないときに、夜中に、ご飯を食べた後、家族が寝静まったときに、台所でちびちびと酸化したワインを飲んだり、子供には食べさせられないような酸化したお菓子を食べてみたり、その食べ方が、ちょっと異常なくらい、むさぼり食べるというか、経験ありますか。おいしいと思って食べないのです。捨てたつもりで、口の中にゴミ箱みたいに放り込むのですね。ガジガジとかんでいると、頭の中でいろいろ考えて、飲み込んで、まあ寝ようと思って寝るのです。

そういう食べ方をしていた。それが食べ過ぎだといわれたのです。それがおいしいと思って食べれば何も毒にならないのに、全部私の責任だ、どうしようと思いながら飲み込んでいたので、全部体の中に蓄積されてしまった毒なのですね。

そうやって家族のことを思い出しました。そうやって酸化したものをどんどん体の中に入れていたのを思い出しました。いろいろ勉強するにあたって、がん患者になるには、酸化したものを食べて活性酸素を体の中に入れて、それで白血球の中のマクロファージさんとかNK細胞さんががん細胞を見つけて排除してくれるのを、そういう免疫力をずっと下げていた。しかも睡眠不足で、しかも貧血で、何も体の中にできているものをやっつける免疫力さんに援助するということがなかったのですね。痛めつける一方だったということに気がつきました。

頭の中で思っただけではだめなので、私はこういうとこがダメだったということを皆さんに言ってしまいました。こうやって皆さんの前でお話しできていることが、私の恥の部分を全部さらけ出しているということなのです。でも私はそうやって自分は治ろうと思ったのです。患者会のところに行って、私はこういうふうでした、でも、私はこれを今から治しますというふうに皆さんに宣言しました。そして、だんだん自分の中で、宣言しちゃったから私は治るんだぞ、こう言ったふうに今日から私は治すんだぞというふうに、順番順番にそうやって治していったと思います。

そのころから私は血液を浄化する、きれいにする、それから血液循環をよくするということを重点に置いてやったのですが、ヨガのほうにもちょっと興味があったのでヨガに行きました。ヨガに行って、先生が、私ががんを治しているということがわかったので「この人ね、今がんを治してます」と皆さんに言うのです。私は黙って行こうと思ったのですが「ああ、そうなんです。頑張ります」とか言って、そうすると毎回「元気になったね」とか「大丈夫?」とか言ってくださるのですね。そうやって言われるということがすごく自分の中で心が豊かになるし、うれしいのです。

うれしいことがどのくらい自分の免疫力を高めるのに役立っているか、本当にちょっとしたうれしいとか笑ったこととかがすごく心の糧になって、そのときにイメージするもの、わあ、うれしいなと思ったときにイメージするものって、すごく明るくていいのですね。このヨガの先生は私に治ったというイメージをしなさいとおっしゃったのです。治るとか治すのではなくて、治ったと思いなさい。治ってしまったというイメージが脳に入って、脳が、あぁ、治ったんだと思うから体の隅々まで治してくれるんだよと。ああ、そういうことなんだなと思ってやりました。

本当にばかみたいなのですが、言われたとおりに素直にやったのです。それを素直にできないでやめてしまう人もたくさんいます。言われたとおりにやって、どうもこれうまくいかないからとすぐやめちゃう方とか。 素直に素直にと言われるから、言われたとおりに一生懸命やっているのに治らないじゃないですかとおっしゃる方がいますが、素直に言われたとおりにやってあなたはうれしいですかと言いたいのです。私はたまたま素直にそうやってすごくうれしかったのです。何かきらきらしていて、お腹がすいてへろへろで食べたいものも食べていなかったので、歩くとふわふわして真っ直ぐ歩けないぐらい、体が軽くて、筋肉がなくなってしまっていたのでふらふらするのですけれど、何か毎日が楽しくてしょうがなかったのです。治してるぞというか、治ってるぞっていうイメージをすごく持っていたので、そういう気持ちというのが体にあらわれてくるのですね。

素直に人の言うことを聞くのではなく素直に自分の中の声を聞き、自分がうれしいなと思うことをやればいいのです。素直に人の言うことを聞いてつらかったら、こんなに大変なことはないです。どうしたらいいかというと、いろんなことをやってみて、自分に一番合って、自分に一番うれしいな、これが合うなと思ったことを見つけてやることが一番大事なことだと思います。

だから、私が玄米菜食をやって、食べたいものを食べないで、1時間、2時間も歩いて、そんな暑いのに半身浴をして、しかも夏でも暑いのに湯たんぽを入れて汗をかいていました。言われたとおりにやっていたのですが、ストレスにならないですか?と言われました。でも私はうれしかったのです。汗が出たといううれしさ。体の中の毒素を出したぞといううれしさ。歩いていてこんな気持ちのいいことはないなと思いました。

私が歩いていると、げっそりやせて、玄米菜食すると2ヵ月で4㎏ぐらい落ちます。今まだふっくらしたほうなのですが、げっそりやせて、骸骨みたいに骨皮になってうろうろ歩いていたら、「大丈夫?」と言われるのです。だけど何かうれしかったのです。そういう体の中で何か治っているというイメージがずっとあって、それが何かうれしかった。ですから、治しているという悲惨さはなかったのです。

冷えとり

冷えをとっていましたが、半身浴は体温プラス1~2℃でやっていたのですが、私の場合は熱いのが好きですので、41℃ぐらいのお風呂に入っていました。半身浴ですからウエストから下なのですが、夏でも汗を出してやりました。35度ぐらいでがん細胞は喜ぶよ、でも36度5分、7度ぐらいになるとがん細胞は嫌うということを知っていましたので。

温かいときに測るのと冷えてしまったときに測るのではずいぶん違います。6度5分ぐらいまでは上がってきました。もともと5度5分ぐらいの体温だったので、体温を上げることにも成功しましたが、もともと貧血で手足が冷たい人なので、温かいうちはいいのですが、2時間も3時間もするとまた冷えてくるのです。ずっと温めていると気持ちがいいのですが、はずすとまた下がるのです。

大変だと思ったときに運動をするのです。冷えたということが自分でわかると、どうやって体温を上げようかと思うのですが、筋肉を動かすと体温が上がることがわかりました。靴下をはくだけではなくて。ふくらはぎは心臓のポンプの役割をするといわれますので、足首から上、ふくらはぎを動かすというのがすごく大事でした。足の裏をマッサージして、ふくらはぎをずっとマッサージしてもんでやるのですね。それを疲れるほどやると温かくなるのですね。本当にぽかぽかしてくるのです。そういうことをずっと1日中繰り返していました。1日そうやって自分の体のために時間を使っていました。

自分のために時間を使うということは、病気にならないとできないです。会社でお仕事で忙しくて、とてもじゃないけどそんな時間ないやと思われても、ほんの少しの時間でいいので、目を閉じて、自分の体の中をずっとイメージをして、ここのところが疲れているなと思ったら、そこをなでて、ありがとうねと言って、自分のために5分でもそんな時間をつくってあげたら、それはすごく自分の免疫力を上げているのです。そういう時間を持つこと、そして、私には体温を上げることが大事だったので、体温を上げる半身浴と、靴下をはくことと、筋肉運動が大事だということがわかっていたので、一生懸命それをやりました。

お手当て

そんなような努力をいろいろやったのですが、それだけではなくて、「お手当て」というのもやりました。

爪もみというのがありますね。安保先生がよくやっていらっしゃいます。まず親指の爪を両端から左右、ずっと痛いくらい押さえて、ぱっと放します。人差し指の爪の両わきをずっと押さえてぱっと放す。中指もずっと押さえておいてぱっと放す。20秒か30秒押さえておいてぱっと放す。この運動は血流をよくするだけではなくて、副交感神経を優位にするそうなので、痛いけれど痛気持ちいいという状態にして放すと、ずっと押さえられた血管が、ぱっと放すことでドッと流れるのです。それを、うーん、押さえてるぞ、流れた! というイメージを頭の中に持ってください。

薬指はやってもかまわないと思うのですけれど、これは交感神経を触るのだそうです。これはやらなくてもいいので、小指をやりましょうということで、小指をずっと押さえてぱっと放す。右も左もやります。 これはどこでもやれる大事なお手当てです。私は人の話を聞いていてもこれをやっています。だから、皆さんもどうぞ私の話を聞きながらこれをやってください。痛いぐらい押さえておいてぱっと放します。

それからお手当てですからショウガ按法です。体を温めてびわ葉の温灸をしますと言いましたが、そのほかに体を部分的に温めて血流をよくするために、ショウガ按法というのをやりました。ショウガのお湯を作っておいて、タオルでぎゅっと絞って、熱々のショウガ汁を絞ったタオルを、私の場合は、患部には当てないで、肝臓に当てました。肝臓が一番大事な肝心要の肝臓さんですから、この肝臓を温めて緩めて、あまり負担をかけないで、ありがとうねと言いながらやってあげると、毒素を出すのに大変な働きをして、血液を浄化するのに大変な働きをしている大事な肝臓さんですから、休めてあげるということをしました。それもそういうイメージを持ってやります。

後ろにある腎臓も温めます。腎臓がよくなると排毒もしやすくなります。尿が出やすいということは毒素を全部出してくれるということ、それもイメージしてやりました。

そういう一つひとつが私にとっては、頭でっかちで人に相談できなかった私がやるのは大変なことだったのです。昔でいったら、そういう自然療法をやっている人は宇宙人だと思っていました。よくありますよね。宇宙のエネルギーを頭から取り入れて、気功をやりますと、百会(ひゃくえ)のところからエネルギーが入ります、それがずっと下りてきますと。それって宇宙人かなと思っていました。自分ではやれないなと思っていたのですが、私は病気を治すようになって宇宙人になりました。

これはすごく大事なことで、いろんな話を聞いて、心の中の一番大事なところが、こんなちっぽけな私だからと思うことが一番よくないのです。私が何を言っても何をやっても認めてもらえないんだからと思ってしまうことが一番よくないのです。何をやっても心配で、いろんなことを失敗して、怒られるとしゅんとなって、私って何てバカなんだろうと思って、でもばかだと思われたくないから、また胸を張って前へ出るのですが、またぽんと言われるとまたしゅん。これの繰り返しで、しゅんとしたときに自己嫌悪に陥るのです。私は何てバカなんだろう、なんでこんなことができないんだろうと思ってずっと自己嫌悪に陥って、こんなちっぽけな私だからもういなくてもいいんじゃないかしらと思うような、そんな毎日を過ごして、でも朝になると、私はお母さんという顔をして前へ出ていかなくてはいけない。

バカになる

そういうことをしていて、それがしかも夫にも話せなかったので家族の中で孤立していたと思うのです。だから、何を隠そう、乳がんの原因が、そういう夫婦間がすごく大事だと言われました。相談ができないとか話ができないということは一番よくないのですね。

自分が思っていることを外に出すということは、けんかしているとできないことです。何でもいいからとにかくしゃべって出して、相談して、笑う。そうすると心が落ち着いて、次の新しいことが入ってくるので、自分で1時間考えて悩んで何も答えが出ないのに、3分で解決したりするのです。そういうことを思いました。

そのときにいわゆる頭をバカにするというか、自分が硬くなっていてこんなこと言えないと思っていたその硬い心を開くには、バカになるのが一番です。どうやってばかになったかという問題なのですが、私の場合は、歌を歌う会というのがあり、唱歌なのですが、、それを歌ってみたらばかになれたのです。

ぜひ歌ってみてください。考えなくてもいい歌というのが大事です。頭が空っぽになります。「汽車」という歌です。頭を空っぽにする体操ですので、ちょっと皆さん立ってみてもらえますか。

「今は山中今は浜、今は鉄橋渡るぞと、思う間もなくトンネルの、闇を通って広野原」というのを皆さんご存じだと思います。今は小学校でやらないそうなので、今の若い子は知らないのですが、これはたぶん目をつぶっていても歌えると思います。歌詞がわからない方は前をちょっと見てください。

目をつぶって、足を開いて、ちょっと鼻から深呼吸してみてください。お臍の下の丹田に力を入れてぐっと膨らませて入れて、フー。もう1回吸って、お臍の下にぐっとためて、こらえてからフー。もう1回やります。吸って、お臍の下にためて、鼻からスー。

ちょっとやってみますが、歌うの大変なので今立っていただいたので、簡単にさっき言ったゆらゆら体操も少しやってみましょうか。

隣は見ないでくださいね。隣の人を見ると恥ずかしくなってしまうので、自分の中に入りこんでください。その場で、天に手を上げて八の字を描きます。そのときに、こそこそやっているのはかえって恥ずかしいです。思い切り腰を左右に振って、思い切り気持ちでやることではないのですが、腰を振るのが大事なのです。腰を振ると手も振れます。8の字です。だから上を見ます。天に8の字を描きます。ゆらゆらゆらゆらゆらと大きな8の字を描きます。これで内臓も揺れていますから、内臓もゆったりと今休んでいるのです。呼吸もそれに合わせてゆったりとします。

今度は手をお尻に当てて左右をこすります。そのときに腰を振って。どんなにすごい人でも、これをやっていたらかわいいですよ。家族でこれをやるのです。朝起きたら、深呼吸して、こうやって体をほぐしたら、歌を歌います。目を閉じて歌える方は閉じてください。私も音痴なのですが、声を出すことが大事なのです。音痴というのはすごくかわいいですから、安心して歌ってください。

〈全員で合唱〉

ありがとうございました。

私は難しいことはお話しできないのですが、実践派なので、言われたことを素直に自分の中に取り入れて、自分がこれがやれるなと思ったことを一生懸命やりました。この歌を歌ったときに、ああ、私は頭が真っ白になれた、空っぽになるってこういうことなんだなと思いました。この歌を歌うというのは私の心の支えでした。皆さんもたぶんいろんなことをやっていらっしゃるので、自分の心に支えというか、空っぽになる状況というのを一度体験したら、それをぜひやっていただいて、そのときに新しいイメージを持ってください。

血液さらさらのイメージでもいいです。川がきらきらと光に輝いて流れるイメージでもいいです。そのイメージの中で、自分が治ったぞというイメージを持ってください「治った」ということが大事ですから、その過程がどうのこうのではないのです。どんな療法をやったとかではないのです。自分が一番気持ちのいい状況をつくると、その気持ちいいときに私の心が素直になるのです。一番気持ちよくていいなと思っているときに、目を閉じて、さあ、私は今何がやりたいかなと考えるのです。

人から何か言われたこととか、人にそういうふうに見られているとか、そういうことを一切考えなくていいのです。私は私です。宇宙の中で今1人だけの人間なのですね。 この間話を聞いていたのですけれど、宇宙というもう広いところの中の1人というのは、それこそ奇跡の命なのです。自分がそういうふうに勉強して初めて気がついたのです。ああ、こんな私でもと。母がお腹を痛めて産んでくれた命です。こんなに大事なものを、「こんな」と思っていたのです。こんな命と思っていたから、どんどん病気になっていったのです。

病気になっていない人がいます。病気になっていない人って、どうして病気になってないのかなと。アッハッハッハと笑う人がいますね。それから、何でもないことにすごく感動する人がいますね。そして、ちょっとしたことにぽんぽんぽんと言える人もいます。ああ、そういう人って病気にならないなと思ったのです。

でも、あの人はあの人でいいのです。私は私でいいのです。私はそういう心の病気だったのです。人から見られることを気にしすぎの病気。いい人になろうと思っているわけではないけれど、そういうふうになっている。そういう病気だったのです。病気になって初めて自分の心の病気というものを知りました。うつになったりする前に、まず自分が普通にやっていて何か特徴があって、いいことならいいのですが、自分にそれが負担になっていることは変えたらいいのです。どうやって変えるかというと、そうやってバカになってみることなのですね。

私が、自分にできないこと、自分が病気になったと思うことをよくマインドマップというのを考えてやるのですが、私はどうして着物を着ているかというと、昔からお茶が好きでお茶をやっていたのです。それで、人をおもてなしするといういわゆる禅の心を思い出したのです。ああ、そういえば禅ってそういうことを言うんだと思ったのです。

般若心経を現代文にしたのを読まれたことがありますか。昔からずっとお経で伝わってきたのですが、あれは哲学なのです。改めて見ると何でもないことなのです。みんな楽しんでる? 楽しんでますか? というお経なのです。自分のもらった命を十分満足していますか、楽しんでいますかという文句だったみたいです。

お坊さんがなむなむしていると大変な哲学のように思いますが、皆さん、すごく大事なことを難しい言葉で言っているだけで、簡単にすれば皆さん普段やっていらっしゃることなのですね。そういうことは禅の中にもありますから、そういうものを取り入れてみたりとか、香りとか雰囲気とかいろんなもので自分を癒してみたり、ほかの方といろんな話をして自分を癒してみたりとかして、自分の心を大事に大事にしてください。そうしているうちにだんだんと自分が何ものであるか、自分が今何をしたいかということがわかってきます。そのときに病気を治すということになります。

今大変な病気を持っていらっしゃる方も、とってしまったのだけれど、再発とか転移をものすごく心配なさっている方、それから、私は実は手術も何もしてないので、がんもどきじゃないのと言われたことがあります。いまがんもどきってはやりですね。がんみたいなものだったんじゃないの、だから治ったんじゃないのと言われる方があります。

考えてみてください。私これで全摘していたら、がんですよと言われたから信じて手術受けていたら、ひょっとしたら再発する前に防げるかもしれません。心配はしないで、私はこういうことで元気になっているので、病気は寄せ付けませんというふうに頭から思っていれば、再発も心配ないです。心配しているとよけいになってしまいます。脳は思ったとおりに体をつくるといいますね。 こんな私の話でお役に立てるかどうかわかりませんが、再発を心配していらっしゃる方、それから、今どうやっていこうかなと思っていらっしゃる方も、大丈夫です。私がこうやって治りました。そして、ほかにも治っていらっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。皆さんがどうやってでも自分が生き生きと生きていけるということを実感して証明してください。

そして、私みたいに前に出てきて皆さんにお話ししてください。私はこうやってお話をすることでどんどん元気になって、そんなに動き回っていかんじゃないかといわれるぐらいあちこち走り回っています。先ほど理事長さんがおっしゃっていたのですが、ボランティアでいろんなことをやるようになると、自分の居場所ができるのですね。人にお話をして、そこに行って「ありがとう」と言われるのです。それはすごくいいことなのです。 人間って誰かの役に立ったか、誰かを喜ばせたかということが大事だと思います。この間、池川先生という「胎内記憶」の先生のお話を聞いて一つ勉強しました。三途の川に行くとエンマ様が聞くそうです。誰かを喜ばせてきたか、そして、人生楽しんできたかと、二つ聞かれるそうです。

まず一つ目の誰かを喜ばせたかというのは、お母さんのお腹から生まれたときに家族を喜ばせているから、まず一つはクリアしているそうです。だから、何もやれなかったなと心配することはないのです。一つ目はクリアしています。だけど余分にすることはたくさんしていいので、たくさんの人を喜ばせてください。 そしてもう一つは人生を楽しんできたかと聞かれるそうですから、一生懸命やるのもいいのですけれど、その後ちゃんと楽しんでください。人生を楽しんできた、こうやって楽しんできたと人に言えるように。 そうやって心を治して、病気を治して、自分はただ一つ大事な命を背負っているという、がんになって初めて気がついた大事なこと、がんになって私はそういうことに気がついてよかったと思っています。 私にとっては家族が何よりも大事なので、家族の協力を得たことが私の命の支えになっています。皆さんもぜひ周りの方、そして家族を大事にして、話し合いができるようになさってください。朝起きてご主人とハグしていますか。握手していますか。ふれあうことが一番大事なのです。そして、話し合うことが何よりも大事なことです。

家族の中でも顔合わせることないから話すこともないやということはありません。ほんの短い時間でもいいです。ちょっと外に出て、家の中ではだめなのですよ。家の中ではお父さん、お母さんになってしまうのです。妻、夫ではないのです。1人の人間と人間として話をしようと思ったら、ちょっと喫茶店にでも行ってください。ちょっと外に出て、私実はこういうこと思っているんだけどと話をしてください。1対1の話です。そうやって自分の大事なものを確保してください。そして安心して病気を治していきましょう。

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