お問い合わせフォーム
お問い合わせ電話0527687311
人生をもっと生きる

がん克服体験記

“がんになってよかった”エイちゃん(講演会内容を要約)

織田英嗣さん

がんになってから、今までの経緯

僕は7年前に食道がんになりました。しかし、たぶんここにみえる方でがんになってよかったと言える方はまずいないと思うのです。僕も同じころ、ちょうど6年前、皆さん方の席にいました。いちばん最初に出会った患者会がこのいずみの会。そして、名古屋に患者会があるということで、どんな会なのだろう。本で読んだのですが、そこには元気な人がたくさんいる。真っ暗やみのどん底にいました。そんなときに、今日素晴らしいチェロの演奏がありましたが、きらきら光る星たちに出会えたのです。中山武会長という一番星が、会場の演台に立って「皆さん、おはようございます」というすごく元気な声で、きらきらきらきら光っていたのです。

僕がそのとき思っていたことは、ああ、ああいうふうになりたいな、あんなふうになるためには、どうしたらいいのだろう、こんなふうに考えました。そこから、いろんな方の応援をいただき、いろんな先輩方に教えていただき、そして、がんになったことに対して僕は一つの決断をしました。がんになってよかったと思えるようになろう。当時はがんになってよかったと思えるはずもない、真っ暗やみですから。しかし、がんになってよかったと思える選択をしていこうという、その決意を一つしたのです。

そして、その選択を一つずつ一つずつできることからやっていったことによって、だんだん、がんになってもそんな悪いことばかりでもないかな、そして、がんになって何かいいこともたまにはあるじゃん、から、だんだんだんだんがんになってああよかったなと思えるようになってきた。その過程なのです。

だから、誰でもがんになってよかったなんて最初から思えるはずはありません。しかし、その決意をして、自分の選択を変えることはできると思うのです。そこからスタート。そして、もう一つ、こうやってきらきら光る人たちを見ながら、私も必ずああいうふうになれるんだという、自分のやっていくことを信じる力、これが病気になったときにたぶんすごく大切で、その光を見ていく、一番星。星って暗いときしか見えないのですね。日中は見えないのです。真っ暗になったときに見えるものが星なのです。そういう星に僕は願いを込めて、今日は6年たって、こうやってそのときのいずみの会のこういうところに呼んでいただき、ちょっとまだ一番星とまではいかないかもしれないのですが、皆さんにこうやって自分の経験をお話しさせていただくという場をご提供いただいたこと、いずみの会の皆様に心よりお礼を申し上げます。

私はどんな人間か皆さんは知らないかと思いますので、簡単な自己紹介をさせていただきたいと思います。

僕は、7年前に食道がんを宣告され、そのがんは進行がんということで、けっこう大きかったのです。最初に抗がん剤をして小さくしなければ切れないといわれて、約3クール、3日間抗がん剤をしました。そのときは食道がんの抗がん剤はずっと入院して、点滴を入れ続けるのです。それでへろへりになった。いままで健康であると思っていたのが、急に健康診断でわかって、へろへろになって、抗がん剤をやった後、やはり体力的にもう手術をするだけの体力がない。約10時間ぐらいの大きな手術だと言われていたのです。首、わき、お腹を切って、胃の3分の1を切って筒状に丸めてつなげるという大きな手術をしました。

その翌日は人工呼吸器につながれて、今までできていたことがもうまったく何もできない状態になりました。呼吸器につながれているのは、呼吸の管理ができないから、意識のあるまま人工呼吸器に2日間ぐらいつながれていました。首も固定されてしまっているので天井しか見えない。首を動かすこともできない。人工呼吸器が入っていますから、もちろん話すこともできない。僕はうつで、睡眠薬がないと眠れなかったのですが、人工呼吸器が後ろでヒューヒューいっているので全然眠れない。そういう眠れない苦しみ、そしてもちろん飲食もできないというような状態にありました。ですから、これから自分がどうなるのか、そして誰とも話せないという孤独、そしてこんなふうになってしまった無力感等がありました。

しかし、僕はいま思うと、この状態があったからこそ今があるのではないのかなと。絶対もうここには戻りたくない。そして、ここからおれは元気になってやるんだというふうに思うきっかけにこれがあったと思うのです。人間というのはどんなことが起こっても、その状態からどっちへ向うかということでたぶん大きく変われるのではないのかなと僕自身は思います。

その後、こんなことがわかりました。食道がんってどういうがんなのということをいろいろ調べました。そうすると、食道がん全体の生存率は1970年は4%であったが、現在では14%ほどに改善されている。再発した場合はおよそ半年の余命で、1年以上生きられることもあるが、早ければ3ヵ月以内のこともあり……と書いてあるのです。

子供がそのころまだ小学校3年生と1年生でした。これからどうするのと。再発といわれたら3ヵ月先、どうなるのと。そんなふうに思って、本当の恐怖というのはそこでした。真っ暗やみの中どん底にいて、さあどうしようか、これから自分の先はどうなるのか。そんなふうに思っていました。

そんなときにそこにあったのはやはり絶望です。いったんは僕は絶望のどん底に落ちました。でも、それから、7年後、その影をたぶん見ることもできないぐらい元気になっているのではないのかなと思います。

そこで僕が今感じることは、絶望と希望というのは対立はしていない、対極にあるのではないということなのです。その感じる程度の差であって、絶望というのは、僕は望みを自分で絶ってしまったから絶望感になる。しかし、絶望のなかに希な望みを自分で見い出す。それが先ほどの一番星、きらきら光る星におれはなるんだ、なりたいんだ。そんな思い出僕は絶望のなかに小さな希望を見つけました。

そこからは、絶望を消すことはできない、しかし、小さな希望を大きくしていくことによって、大きな絶望のなかに少しずつ少しずつ希望を増やしていくことはでき、絶望と希望の構成比が、だんだん希望が大きくなってくることによって、人間は不思議なもので、希望というものを見ることができる。そんなように僕は思うのです。だから、決して自分で望みを絶たない。こういう患者会があると、いろんな希望がたくさんあちらこちらにあるはずなのです。その希望を信じて自分で行動することがすごく大事かなと思います。

僕ががんになったとき、なる前は絶頂期でした。三越という会社にいて、同期の誰よりも一番出世をして順風満帆、出世コースに乗って管理職になってというのがあったのですが、やはりいろんなストレスが出てきて、そこから生活習慣病、そしてアルコール依存、うつというふうに坂を転げ落ちるように落ちていって、そしてがん、手術という結果になりました。そこにあったのは絶望です。

しかし、僕はがんになって、ここまでやってきたがんになった生き方を変えようとして、仕事も辞めて、生き方を百八十度変えてきました。その結果、がんになってよかったなというふうに思えるようになったわけです。これは結果です。

しかし、ほとんどの人はがんになって、やはり最悪の出来事だと思っている。しかし、なかには、僕とか、今日パンフレットを配りました「がん治っちゃったよ!全員集合!」というイベントをやりますが、ここにいる人たちはよかったと言っている人たちが多いのです。だから、それは一つの現象でしかなくて、自分がそれをどうとらえるのか。絶望ととらえるのか、そこから新しい自分の人生を築くのかというところに大きな分かれ目があるのではないのかなと思います。

ピンチはチャンス。そのピンチをどうするか。それで皆さんの人生、新しい人生が始まるのかもしれない。そういう人生の選択が一つ増えたのだと思ってみること。それが僕はすごく大事じゃないかと思います。

僕はその後いずみの会と出会い、先ほどもご紹介のあったガンの患者学研究所、いのちの田圃の会というところと出会った。がんになって2年目でした。2年目からそんなことをやりだしました。がんになって4年目ぐらいに、会長として全国縦断キャラバンということで、「がんは治る」と描いたキャラバンカーに乗って、沖縄から北上して、全国の会員さんと一緒に街頭演説をしながら全国を回ったりして、本当に多くの全国の患者さんと接して、私自身がそういった方にいろんなことを教えていただきながら、人生経験を踏みながら今こうやって皆さんの前でお話しできるようになりました。

僕はどうやって元気になったか

今日はちょっと僕がどうしてこうやって元気になれたのか。がんという病気に対してどんな取り組みをしてきたか、どういうふうに考えたのかということを、皆さんにお話しさせていただきたいと思います。

がんと免疫力

まずがんと免疫の関係というのは皆さんもよくご存じだと思います。がん細胞は毎日1000~3000個人間の体にできています。しかし、がんにならない人もなる人もいる。そして、がん細胞ができてがん細胞が無限に増殖をするという定義どおりなら、必ず全員がんで死ぬはずです。しかし、がんになる人、ならない人がいるというのは、人間のなかに備わった免疫力という力が非常に大きな役割を果たしているということです。

免疫力がだんだん下がってくると、がん細胞というのは増殖します。そして、免疫力が通常より下がった状態になることによってがんの増殖力がどんどんアップして、約1センチで100億個といわれていますが、100億個になったときに、1センチのがんが見つかりましたよ、あなたがんになっていますよと言われるわけです。

そして、がんとわかると、不安、恐怖、そして、僕もやりました放射線、抗がん剤、手術と過酷な治療が待っています。その過酷な治療によって、免疫力が上がることはないですよね。そうすると免疫は急激に下がります。するとがん細胞は大幅に増殖する。

医者ががんは速く増殖する、すぐ切らなきゃと言うのは、自分たちががんを見つけて過酷な条件に患者さんを置くことによってがんが増殖する環境をつくっているのではないのか。医者、先生と呼ばれる権威のある人にそうやって言われればどうしてもそうなってしまう。だけど、自分がどうするかということを自分で考えていくことがとても大事なのではないかと思います。

なぜがんになるのか

ではどうしてがんになるのだろう。僕は、がんになる大きな原因が三つ、四つあると思っています。まずはライフスタイル。皆さんのライフスタイル、がんになったとき、ガンになる前どうでしたでしょうか。まず睡眠時間はどうでしたか。今の時代、寝る時間はほとんどの方が11時とか1時とかいう時間になっていると思います。先ほどの免疫力がいちばん働く時間というのは、夜の10時から2時ぐらいまでだといわれています。

そして、その2時から免疫が働いて、外から入ってきた異物、ウイルス等を攻撃してやっつけて、その後2時から4時ぐらいまでで傷ついた細胞の修復をしたり、解毒をしたりという作業が行われ、その後、朝6時ぐらいから排泄が始まる。それが人間の体のバイオリズムなのです。

それを夜12時、1時まで起きていたら、人間の体のなかではどうでしょう。この免疫が働く時間に起きていたら免疫が働けません。寝ているから免疫が働く。そういう状況に自分でしてしまっている。がんが増殖する条件を増やしてしまっている。

また今頭寒足熱ということがよくいわれていますが、血流が悪くなるのもライフスタイルが大きな原因なのです。例えば冷房、暖房といったものはどうですか。人間の体というのは重力の上に立っているわけだから、血液は基本的には下に、下にとおりていきます。下から上に上がることはなかなか難しいのです。そして、温かい血流は全部上に行ってしまう。

そうすると、人間の体というのは、例えば冷房をしていると、冷房というのは冷たいから、どんどん下に行きます。冷たいのが下に行って、足が冷えてしまい、上はどんどん温かくなる。暖房も同じことです。温かいのが上に来るので、温かいのはどんどん上へ行って、足が冷える。下半身が冷えると血流はどんどん悪くなるし、人間の血液というのは下から上に、要は重力にさからって上がることもなかなかできません。そうすると血流がどんどん下に滞って、体の血流が悪くなってしまうのです。

昔はどうだったかというと、昔は冬はこたつとか、足を温めます。そして上は冷たい。頭寒足熱。夏は扇風機、上を冷やして、下は暖かい。そういう状況でいい循環ができていたのを、今のライフスタイルはどんどんそういったものを壊してしまう。なおかつ血流が悪くなる大きな原因は、歩かない、動かない、筋肉を使わない。血流をいちばん下半身から上半身に持っていくのは足の筋肉です。足の筋肉もどんどん衰えてしまう。そして、手などの筋肉を使わなくなってしまうことによって血流がどんどん悪くなってしまうわけです。それによって人間の体の循環がどんどん欠落して病気になる大きな原因になってしまうということです。

がんと食事

そして食事です。「がん育成三高食」というのを聞いたことがありますか。高タンパク、高カロリー、高脂質です。なぜかというと、例えば高カロリー、これはブドウ糖、砂糖です。今は砂糖のあるものばかり食べている。がん細胞のえさというのはブドウ糖なのです。PET検査というのがありますが、あれはがん細胞がエネルギーを横取り、略奪をしていくという性質を使って、血液のなかにブドウ糖を入れて、そこに放射線を当てると光るという作用を用いて、点滴を打って一定の時間たって光を当てると、体に点滴で入れたブドウ糖はがんのところへ全部集まって光る。それだけがん細胞というのはカロリーを必要とするわけです。

この前テレビでやっていましたが、がんは新生血管というのは出して自分でつくって、エネルギーをどんどん横取りをしていく。がんになるとどうでしょう。どんどん正常細胞のエネルギーをがん細胞がとって、どれだけ食べてもどんどんやせていってしまいます。

どんな状態でしょう。われわれが病気になったときに、そしてまだまだ食事とかで甘いものばかり食べていた。それは例えばサル山のサル。元気のいい雄ザルと、子ザル、雌ザル、お年寄りのサルがいた。がん細胞というのは元気なサルです。そこにえさをぱんとあげると、全部そっちの元気のいいサルがとっていきます。子どものサルとか年を取ったサルは、下に落ちたこぼれたものをつまみ食いするぐらいしかできない。そんなようにがんに餌を与えてあげてしまっている。毎日1000個、2000個できているがん細胞に一生懸命餌を与えて成長させてしまうというようなことが起こっているわけです。

そして、高タンパク、高脂質。高脂質というのは血液どろどろ。高タンパクというのは脂っぽいものを食べることによって、人間は動物性のタンパク質を食べることによって、そのタンパク質を解毒排泄するのに相当なエネルギーがいります。いったん体のなかに入ったタンパク質をアミノ酸というものに分解しなければいけない。例えば真珠のネックレスがあります。これがタンパク質だとすると、それを人間の体のタンパク質にするには、そのネックレスをばらばらにして、もう一回組み立てるという作業が必要なのですね。そこで非常に人間の肝臓とか腎臓に負担になるアンモニアとかいう有害物質が出るので、それが肝臓だとか腎臓という肝心要の臓器を弱らせて血液が汚れるきっかけになってしまう。そんなことが体のなかに起こっているわけです。

そういう状態になったら、人間の免疫が自分のなかにリンパ球という免疫細胞があります。この免疫細胞ががんのところに行こうとしたときに、どうでしょう。血液の流れが悪いどろどろの血液であれば、行きたいところにも行けない。交通渋滞のなかを消防車が走っているようなもので、火事は燃え広がってしまいます。

こんな状態に食べ物によってなってしまっているわけです。それが1000個、2000個の毎日できているがん細胞が増えていってしまう大きな原因になるのだということです。

がんと環境

もう一つは環境。これはけっこう大きな問題です。住環境、職場環境、自然環境と書いてありますが、僕の場合は職場環境というのが大きな原因でした。チェロの素晴らしい演奏を聞けば、リラックスしてゆったりできます。病気になる前、そんな時間がありましたか。

環境というのは何かというと、外から入ってくる刺激なのです。外から入ってくる刺激をわれわれは環境といっているのです。私が会社にいた環境。百貨店の地下にあって、太陽の光を見ることもなく、人が雑然とし、人から苦情とかがたくさんあったので、そういうストレスがある環境にいた。そして、自然のなかにいるようなこともなく、毎日毎日、電車に乗って家から会社へ行って、地下のなかのずっとモグラみたいにいて、そして真っ暗になってから家に帰ってくるということでした。家のなかにいても家族楽しく過ごす時間もなく、家内とはけんかばかりする。こんな環境が体にいいわけないですね。

そして病気になったらどうなるかというと、日の当たらない病院のなかの真っ白な病室で、僕は人工呼吸器につながれて、天井の点々しか見えませんでした。あんな環境にいてよくなるわけがないのです。

だから、自分でその環境というものも変えていく必要が、病気になったときに、布団のなかばかりにいて、暗いところや部屋に押し込まれているのではなく、自分を何か新しいいい環境のもとにおいてやる。転地療法ということですね。旅行もあります。そんなようなことをすることもすごく大事かなと思います。そして、こういうものがストレスを生んでいるわけです。

だから、ストレスだけをなくそうと思っても無理です。だから、自分でライフサイクル、環境、食事といったものを変えながら、今までのがんになった環境を変えながら、ライフスタイルを変えながら、食事を変えながら少しずつ少しずつストレスをなくしていくような、変えていけばストレスがちょっとずつでもなくなると思うのです。それを、ただストレスをなくそうと思うとすごい苦痛になってしまう。たから、ただそういうことをするのではなくて、まず体のほう、食事のこと、玄米菜食など体にいいものを食べて、朝早起きしていい空気を吸って生活する。

がんがいちばん好む条件は低酸素、低体温です。こんなストレスがあるような状態だとどうでしょう。だんだん下を向いて病気になってこういうふうになってくると、血流も悪くなるし、呼吸も肺が小さくなってしまう。だから上を向く。天気のいい日に朝日を見る。そんなことをちょっとするだけで、深呼吸をする余裕ができるわけです。

そういうちょっとの時間を大切にすることによって、「希(まれ)な望み」がだんだん見えてくるようになってくると思うのです。

たぶん皆さん無意識に生活習慣ががんになりやすい生活習慣になってしまっている。例えば食事でも、何がいいとか何が悪いとか、添加物が多いものがいいとか悪いとかいう話はありますが、ほとんどの方は必然的に今あるものを何の疑いもせず食べてしまっている。冷房、暖房、寝る時間も、無意識のうちにふつうという基準があって、すごく大きながんになる原因になってしまっていると僕は思っています。

こういったものが一つの大きな原因、塊となって、これを土のなかの球根だと思ってください。こういう原因で出てきたのが、僕はがんだと思うわけです。

では病院へ行くと、がんが出てきてしまったからまずは放射線で焼き殺しましょうと。そうするとがんはなくなります。だけど、ここに原因があれば、必ずまたどこかから芽を出す。球根は残ったままですから出てきます。これががんの再発です。今度は手術で切りましょうということで、手術で切る。しかし、今度はまた違うところから出てくる。抗がん剤を使ったとしても、どれだけでも、何回でも出てくる。違うところから出てきたら、今度は転移です。

こんな状態を繰り返していて、ここがそのままだったら、果たしてどうなるか。放射線、手術、抗がん剤、これは免疫を落とす一番大きな原因です。こんな状態になって、なおかつ免疫を落とすとすれば、体のほうが参ってしまう。治るものも治らなくなってしまう。病院に行く。これは致し方ないところがあって、僕も手術をして抗がん剤も使いました。

だけど、患者が自分でやることがあるのです。まないたの上のコイになっていてはだめなんですよと僕は言いたい。自分の人生、自分の命を、まないたのうえのコイで、医者に預ける、薬に預ける、病院に預けるなどということをしていてはだめなんじゃないのか。自分でやるべきこと、それがここにあることだと思うのです。

原因をなくさないかぎりは何度でも出てくる。現代医学では再発、転移は防げません。僕自身も医者に再発をしないためにはどうしたらいいですかと聞きました。医者は何と言ったと思いますか。病院に点滴に来て検査を受けなさいと言われました。それは何が根本にあるかというと、いつか必ず再発するから、それまで待っていなさいよと言われたことです。どうしようと思いますね。

僕は自分でこういったことに気がついて、僕は病気になったときに、この三つの原因すべて当てはまったのです。暴飲暴食もするし、職場ではストレスもあるし、環境も最悪で、十分日に当たることもないというところにいたので、もしそれが原因だったら僕は再発することがある。それをなくせば再発することはないのじゃないかと思って、これをやりだしたのです。

そして、一つひとつライフスタイルを改善し、食事も変え、そしてできるだけ自分がいるべき環境も変えたことによってストレスもなくなって、がんというもの自体がなくなっていく。これをがんの自然退縮というのです。僕たちと一緒に活動しているムラタさんは、このがんの自然退縮者です。できた乳がんを放射線など医者の治療をまったくせずに自然に消したからです。そういう方もかなりたくさんいるし、僕のいた前の患者会にはそういう方がたくさんいました。

そういう事例もあるということを頭の片隅にでも入れておいていただければ、何らかの皆さんの希望の一つにはなるのではないのかなと思います。

「がんになる選択」を「がんにならない選択」に切りかえる

そして、大事なことは、すべてを無意識に選択しているのを、意識的に選択を変えていくということが、これからすごく大事なことになってくるのではないのかなと思います。がんを治すために、再発しないために、僕は今言ったような無意識な生き方、こういう無意識にみんなこういう生き方をしてしまっている、こういう生活をしてしまっていることが、これだけがんが増えている大きな要因です。だからそれを意識することがすごく大切です。

先ほど言った土の下の球根の部分というのは普通のことなのです。皆さんが今まで普通だと思って行動していたこと、その「普通」という概念が大きな病気の原因である。だから僕は病気になってそれを治そうとするときに、普通じゃないことばかりしてきました。仕事を辞めることは普通じゃないです。会社へ行って、玄米菜食をするとか、仕事に行っている日に、朝早く、6時とかに起きて走ったり筋トレしたり、栄の会社まで約40分間、一番遠いところでは御器所あたりから歩いたりしました。そして、早く帰って半身浴をしてみたりという生活も一時期していました。

これは普通の人から見たら普通ではないですね。そういうことをしてきた結果、今ここに僕はいる。そして、がんになったことも、すべては自分が選択してきたことです。自分ががんになる生き方を選択してきたというそこの現実を受けとめることが大事ではないかと思うのです。

自分に原因があれば自分で何とかすることができますが、今の医療はがんの原因は不明だといっています。皆さんの周りを見てもらうと、原因が不明だ、どうして起こったかわからないことには対処することができません。だけど、原因があるものだったら必ず防止ができるはずです。だから、僕はさっき書いたことが原因だという仮説を立てて、それを一つずつ一つずつ変えていくことをしたのです。それによって、それが正しいのか間違っているのかということは別にして、僕はその答えが今の僕のこういう体、今の僕の生きざま、これが僕の答えではないかなと思っています。

がんになって幸せになる

そしてキーワードは「幸せになる」です。

がんになったこと=不幸ではありません。がんになって、どういうことが起こったかというと、突然目の前に手があらわれたのです。今まで視界が良好だったところに、目の前に手があらわれた。そうするとどうするか。どうしよう。前が見えなくなった。暗くなってしまった。びっくりしてみんな前へ進んでいく。そうするとどんどん視界が暗くなってしまいます。

結局、人間というのは突然そういうことが起こるとびっくりしてパニックになってしまう。だけど、安心する。がんはそんなに速く進行するものでもないし、自分の体とか自分の今を警告されただけで、何も変わってないはずです。だったら、止まってみて一歩下がれば視界が広くなってくる。そういう状況にあるということ、そして自分に残った未来というのは必ずあるのだと信じることです。がんのほうへ向くとどうしてもがんのほうへ行ってします。だから、本来は僕はがんの向こう側に自分の未来を見つけるべきだと思っているのですが、なかなか難しいので、もう一歩逆を向いて、違った方向に向いていく。そっちへ向いて一歩進めばがんから一歩離れる。そういう状態を皆さんがつくっていく、知らない間にどんどん離れていくような生き方、そんな心の持ち方をしてもらうことが大事かなと思います。

そして「太陽ではなく月」というのは、さっき星の話をしましたが、僕たちはがんになる前、さんさんと輝く太陽の光を目指して生きてきました。病気になったとき真っ暗になったときに、一時、僕はまだ昔の生き方、百貨店に出て前の生き方をしていこうと思って、そっちで一生懸命になっていました。

しかし、体はもう同じからだではありません。周りから見る目も違います。あいつはもうがんになったから終わりだみたいなかたちで見られました。そのときに、あるときまで僕は昔のさんさんと光り輝く太陽を目指したのです。だけどまぶしすぎるわけです。目がつぶれてしまう。暗やみに一回行った人が太陽を見るとまぶしいです。だったら僕は故中山会長のように月のように光り輝く人、それは味があるのです。太陽はけっこうさんさんとして熱いだけです。月は、中秋の名月とか、満ちたり欠けたりする。そういうわび、さびのようなものがある。そういう人生を目指そうと思うことが僕はすごく大事ではないのかなと思うのです。

同じ道を行って、同じ方向を目指して走っていては、やはりどうしてもがんになってしまった同じ自分の性格だとか、同じ習慣とかが出てきてします。それを、違った自分、もう一つの自分をそこで見つけて、そっちへ行ってみるのもいいのかなと思って、そっちへ進むことがすごく大事かなと思います。

僕はそんなことを、このいずみの会と出会ったことがきっかけで、いずみの会の方も玄米菜食だとかいろいろやっています。ニンジンジュースを飲んだりやりました。そして、徹底した生活習慣の改善をしたことによって、全部が元気になったのです。血圧が160とかとすごく高かった。そして脂肪肝、高脂血症、γ-GTP439、中性脂肪493、そしてうつ病もあって、パニック障害があって、体重は80キロぐらいありました。

こういったのが、これをやったことに全部正常値に戻ってしまった。これがあったので、よし、これは何とかなるぞ、自分の体を自分で何とか変えていけば変わるんだという実感を得て、そっちへ突っ込んでいったわけです。

僕はうつで、がんになる前の1年8ヵ月か9ヵ月前に、約3ヵ月仕事を休んで、安定剤や抗うつ剤、睡眠導入剤やらをずっと飲んでいました。それがそうやって変えたことによって、薬も全部なくすには約1年かかりましたが、全部いらなくなって、どこがうつ病だったのみたいなことにもなりました。僕自身は今元気に生きることができています。

がんという病気は、僕はそういう意味では医者には治せないのではないか。がんになった原因を知っているのは医者ではない。医者は知りません。自分です。その自分がこれからどうやってそのがんになった原因、思い当たることを変えていくかということがすごく大事ではないかなと思います。

会社を辞める決意

それで、僕自身は自分の生き方を変えればがんは治る、再発しないという仮説を立てました。そして、仕事を辞めて、再発しないことを確認、確信したのです。これはやはり大きな原因は仕事だった。どうして仕事を辞めたか。それは仕事をしていたときの自分と同じ環境にいれば、絶対比較するのです。ああ、がんになってしまったからおれは今、同じような仕事はできないし、前できたのに今はできないこと、前できなくて今できないことばかりあるのです。そして、失ったものがどんどん見えてくる。そのなかにいるのがあまりにもつらかったのです。

そしてもう一つ、がんになってよかったと思える選択をするためには、そこの環境にいたら絶対にそれはできないと思ったのです。仕事を辞めて、もう一度織田英嗣という自分に戻って、新たに自分の第二の人生をつくっていこう。がんになれてよかったという選択をするためには、今までいたものを何か置いてこないといけないよということで、大きなドアをバタンと閉めたのです。

これはやった人しかわからないのですが、大きなドアをバーンと閉めると、小さな希望の光がパタパタパタッと開くのです。大きなものは開かないのですが、そういう状況が起こってきたのです。そして、自分でもいろんなことをしてきましたが、患者会であるとか、いろんなことも全部必然的に起こって、自分からやろうと思ったのではなくて、そういう扉が開いたから、そしてその開いた扉に僕が入っていったから。そういう状態で起こるわけです。これは、大きな扉を閉めなければ起こらなかったのではないのかなと思っています。これは僕の場合ですから、いろんな条件があってできるできないはありますが、僕はそう思って仕事を辞めて、再発しないことを確信しました。

そのとき以来、僕は病院に行っておりません。検査もまったく受けていない。だから、今がんがあるのかないのかわからない。もう5年たちました。5年生存率は30%、20%といわれましたが、今とりあえず生きているからいいかというような感じで、あるのかないのかというのは僕のなかでは問題ではない。

僕はこう見えても気が小さいのです。病院へ行くとドキドキします。再発していたらどうしようとか、ずっと考えてしまって、それは精神衛生上よくないのかなと思って、その選択を僕はやめました。人によってはそれがないと不安でたまらなくて病院へ行く人ももちろんいいです。僕はそういう選択をしたということですから、行かないことを皆さんにお勧めしているわけではまったくありません。僕自身はそんなかたちで今生きている、この現状で健康で今生きてい現在をということを大切にしたいから病院に行かないという選択をしたというだけのことです。

そんな意味で、僕は患者さんが主体となった治療をしていくべきではないのかなということで、いろんな患者さんとともに歩む。患者さんには患者さんにしかわからないことがある。そして、医者ともいろいろつき合って、ドクターのほうからの言い分ももちろんよくわかります。ドクターも、患者さんをよくしよう、治してあげようと思ってかかわってくれているし、やはりそれを患者さんがとやかく言ったりするのも、これはドクターが悪いわけではないと僕は思っているわけです。医者は病気が治せないと思っているし、何とかしてくれよと患者が血相変えていったら、どうしようもないじゃないかと怒るようなこともあります。

そんなようなことなどを、患者さんは自分の心をどうするかということが大事で、ほかを変えることはたいへん難しいし、よけいストレスになってしまう。そのストレスを、いろんな人との出会いとか、経験から少なくしていくことができれば、アドバイスができればいいのではないのかと思って、今は患者さんと共に歩むというような会をやっています。医者はお手伝い、治すのは自分です。

そして、僕は失ったものよりあるものに目をつけましょうということを考えています。僕は手術で食道だとか胃をなくしましたが、まだ健康ではないかもしれなかったのですが、肝臓、腎臓、腸とかの臓器はあるので、あるもののほうを大事に扱ってあげるということをしましょう。そして、今まで僕が描いていた将来像、社会像といったものはなくなったけれど、新しい未来を得るチャンスができたのだと思って行動を変えました。 そして、今までの人間関係、仕事を辞めてがんになったことによって、今まで僕の利害関係で結ばれていた人たちというのは、サーッと潮が引くようにいなくなるのです。これは不思議です。だけど、そんなことがあって、本当に自分のことを大事に思ってくれている人がいるということがわかった。それは家族であり、今のおつきあいをさせていただいている仲間、友人、そういう人たちの存在に今まで気づかなかった、それに気づくことができた。

そして、すごく不安を得ました。しかし、その不安を打ち崩すという行動ができた。だってがんでなかったら仕事は辞められません。不安があって、自分が再発していつまで生きているかという不安があったから、それを打ち消すために仕事を辞めるという一つの行動に出ていったわけです。 1回目にいずみの会の講演に来たときは冬だったのです。そのとき、腸閉塞になってそこで倒れてしまって動けなくなったことがある。そのときに特に冬だったので腸が冷えたりしたということがあって、中山会長とか、当時のいずみの会のスタッフの方々が、動けなくなって寝転んでいたのですが、ずっと介抱をして、タクシーを呼んで家へ帰らせてくらたのです。

腸閉塞も僕の場合は、8時間温めて、いろんな方法があってそれをやると、腸閉塞が通るというのがわかったのです。それからいろいろ、救急車で運ばれたこともあります。それはどうしても病院に行かなければいけなかったのですが、あとは大体は自分で腸閉塞も何とかコントロールできるし、どういうときに腸閉塞が起こるかというようなこともわかり、そして食道がないからいろんなことが起こってくるので、その分自分の体とかを大切にしよう、冷やさないようにしよう、こういうふうにしよう。そして、そういう後遺症が出たときは何か自分に原因がある。だからそういうものを大切にする自分の生活習慣を教えてくれるために僕は後遺症を得たのではないのかなと思うようになりました。

そう思ってみると、あると知ったもの、得たものというのは、病になる前にみんな当たり前だったことなのです。家族でも何でもみんな当たり前。だけどそれまでは気がつかなかった。そんなことばかり。だから自分自身、失ったものを悲しんだり悔やんだりしても戻ってくることはない。だったらあるもののほうに目を向けて、そのあるがままの自分を大事にしながら、もう一回自分の人生を生き直してみましょうよということを、僕は多くの人に伝えたいと思います。

これはみんな恵みなのですね。今われわれは生きていること自体が恵まれているし、われわれの命自身も自分で得たものではありません。恵みです。そういう「恵み」という言葉を感じてほしいなと思います。それで僕はめぐみの会というのをつくっています。『幸せになる』という冊子を後ろのほうでも販売していますが、ここに、どういう生き方をしたら幸せになるか、食のことだとか、球根の図のことも描いていますし、精神の持ち方、経済というものも考え方。そんなことを僕の今までの経験から書いたものがありますので、もしよかったら読んでください。

そして今、ふれあい体験ファームめぐみ農場というのを西尾市でやって、いろんな方に体験してもらったり、僕が○○○○動くことはもう無理なので、そこにいろんな人に来ていただけるような場をつくっています。今僕は場づくりということをすごく大事にしていて、めぐみの会が毎月2回、名古屋市内で患者さんが患者さんだけで集ってお話をするところ、自分が持っている思いだとか、不安になっていることを会話をする場を設けています。

そして自然栽培というのをやっています。今度『奇跡のリンゴ』という映画になった木村秋則という方を知っていますか。あの方がうちの農場によく来てくれて応援してくれているのです。木村さんのリンゴは、木村さんとお会いしたときに話したのですが、農薬、肥料をパンパンに使って瀕死の状態である。それを、農薬、肥料を使わずに自分の力でよみがえらせよう。例えばがんの患者さんががんになったときに、今までやってきたすべてのものを、生き方を変えて、健康に、元に戻っていこうというその根拠は僕はまったく一緒だと思うのです。 それをこうやってリンゴが花を咲かせて実ができるまで7年かかる。その7年間にあった苦労は『奇跡のリンゴ』という映画になっていますが、そんなことで木村さんと話が合って、9月にも木村さんは西尾のほうに来ていろんな話をしてくれるはずです。

ただ、こういう自然栽培、農薬、肥料を使わない栽培方法をとっているのですが、これはまさしく僕ががんという病気、そして今までのいろんな活動を通して皆さんに知っていただきたいことで、これを場として野菜をつくる。人間も一緒です。それを皆さんに提供するということでつくった場でございます。 そんなことで、僕自身はブログでがん患者さんと共に歩む・めぐみの会のブログとか、自然栽培を広めるめぐみ農場のブログとかで、いろんながんに関すること、生き方、そして心の問題などを書いていますので、もしよければそちらのほうもご一読ください。